かわいそう、の向こう。

たまたま、とある国際的なスポーツ大会の開会式の映像を見ました。

多分、しばらく前の大会だったと思います。場所は、イギリス。
世界の様々な国と地域から選手団が送られ、エンターテイメントに彩られた華やかなセレモニーでした

今、何かと話題のトーチリレー。
その大会でも、スタジアムにトーチが運ばれてきました。
最終走者は、誰もが知っているスーパースター。
スタジアムが、歓声に包まれます。

ところが、ここでサプライズ。
最終走者は、そのスーパースターだけではありませんでした。
もう一人、小さな女の子がグラウンド上に立っています。
スーパースターは、この少女の元に駆け寄り、二人で、トーチを掲げたのです。

「なになに、子どもを使った演出?」
と、思わず構えてしまった私。
しかし次の瞬間、その女の子の表情をカメラが捕らえ、釘付けになってしまいました。

女の子の鼻から、チューブが出ている――
後ろで、医療器具を抱えたスタッフが、待機している――


会場のアナウンスによると、この女の子は6歳。
地元の小児ホスピスの患者さん。
ホスピスの女の子が、スーパースターに手をとられて、ゆっくりと歩いているのです

会場のアナウンスが告げます。

「最終走者は、○○ちゃん。
ここにいるどんなアスリートたちよりも、厳しい挑戦の中にあって、それを克服しようとしています。」


スーパースターが入場したとき以上の歓声が、スタジアムを包みました


・・・感動しました。
私、どちらかというと「お涙ちょうだい」系には、淡白な方なのですが・・・。
小児ホスピス、という特殊な場所で、特殊な困難と闘う6歳の彼女が、スタジアムに堂々と立っていること。
そして、それをサポートする、スーパースターや観客の姿勢の温かなこと。

「障害や病気のある子どもは、かわいそう。」
とは、誰もが抱く感情。
その証拠に・・・子どもが生まれた時、一番良く聞く言葉は、「母子共に健康で良かった・・・」というもの。
「健康」じゃない場合、かけられる言葉は、「残念」「かわいそうに」――だったりします。

上の6歳の女の子の姿が、力強く伝えるメッセージ。
それは、私たちは「かわいそう」の彼方に行き着かなければならない、ということではないかと思いました。

この開会式では、
小児がん=「かわいそう」
アスリート=「すごい」「立派」

という固定概念が取り払われ、両者が共に、挑戦する「人」として、尊敬のまなざしをもって受け入れられています。

厳しい現実と向き合いながも、あきらめずに日々を生きる少女の姿。
厳しい競技の世界に身を置き、挑戦を続ける世界の一流アスリートたち。
両者の姿が重ねられた瞬間、そこにあったのは「かわいそう」という憐憫ではなく、
挑戦する人・闘う人の勇気に対する、尊敬の念でした。


私の「闘い」もそうなのかな?

そう思われたら、嬉しいな。

奇しくもオリンピックイヤーの今年、チャレンジする人々を見ながら、自分自身を鼓舞したいと思います。

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この記事へのコメント

もりもり
2008年08月24日 09:43
最近は、テレビをつければもっぱらオリンピックでしたねー。
ぼくはみみやまさんは病気と闘ってる立派な戦士だと思いますよ!
でも病気と闘うだけじゃなくて、
闘病中に感じている気持ちを精一杯精一杯
僕たちにわかるように伝えてくれています。
それだってとても大変な事だと思います。
病気と闘ってる人にも、そうでない人にも、
みんなに本気で伝えようとしてくれている。
みみやまさんの本心はすべてはわかる事は難しい事だけど、
みみやまさんの本気は伝わってきます。
だから、ぼくもあなたのことをもっともっとわかりたいと思っています。
ブログ、がんばってください!

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